気まぐれ日記 2013年9月

2013年8月はここ

9月1日(日)「鬼が笑う航空券をゲット・・・の風さん」
 今日は朝から少し緊張している。
 来年の1月に秋田まで講演に行く予定なのだが、当然、往復の航空券を安く確保したい。
 いや、それよりも重要なことは、早い時間の便で行って、遅い時間の便で帰ってくることだ。遠くへ行くときはできるだけ現地の滞在時間を長くした方が色々な面で楽になる。しかし、同じことを考える人は多い。そのため、今月中旬に同窓会のために秋田へ行く航空券が、早めの予約行動であったにもかかわらず、逆のパターンの航空券しか残っていなかったのだ。
 予約できるタイミングになったらすぐ予約する。それが今回の反省点であり、そのタイミングは、今日の午前11時だった。
 臨戦態勢でその時刻を待ち、ゲートが空いた瞬間、競走馬のように突進した……ら、フライングだった(^_^;)。
 お蔭様で、希望の便を予約できた。でも、支払期限が明後日だって! 変更のできない切符だし、なかなか厳しい。LCCが飛ぶようになれば、一気に条件が緩くなるのだろうが、料金も含めて。
 その後、これまでできなくて、たまりにたまった雑務を、一つずつ片付けて行った。
 新しい名刺の印刷の発注もした。
 ついでに、クレジットカード番号を登録してある Amazon のサイトに入るパスワードを変更した。忘れてしまう恐れは大きいが、勝手に使われる恐れもかなり高まってきていたので、とりあえずひと安心。ボケ老人にはつらいことだが、パスワードはこれから常に更新を心がけよう。
 明日から「日経フォーキャスト(旧名日経ダービー)」が約1ヶ月間続く。伊藤先生のシステム検証の協力なので、成績には関係ない。
 本番レースでは良い結果を出せたが、これからどうだろうか?
 深夜、最初の予想値を計算してインプットした。

9月2日(月)「今日も雑用処理・・・の風さん」
 旧職場へ出社し、現場での全体朝礼に出席した。転籍する同僚が挨拶をした。人生には何度か転機が訪れるが、彼女のこれからの幸福を祈りたい。
 ……待てよ。来月の全体朝礼は、自分にとっても最後になる。忘年会には呼んでくれるそうだが、いちおうけじめの挨拶をしなければならない。
 先週、ボケで間違えた常務でなく、正しい方の常務にお願いをしなければならなかった。
 電話したら秘書が出て、幸い常務は在席していた。ただし、電話に出られない状態とのことで、詳しい事情を秘書に話し、関係するメールも転送し、秘書から常務の空いた時間に相談してくれることになった。
 昼過ぎに、常務と直接話ができ、(米倉先生からの)依頼が通った。これで、ひと安心。
 ケータイで自宅メールをチェックしたら、11月に講演をさせてもらう団体の事務局から「タイトルの締め切りが8月末だったのですが……」という催促メールが届いていた。(しまった!)と思ったが、ここで慌てるとまたドジを踏むので、夕方までじっくり考えて、ケータイから回答しようと決めた。
 今日は朝から頭痛がひどかった。寝不足の頭痛ではないので、バファリンを飲んでみたがやはり効かなかった。
 頚椎症の鎮痛剤を服用してみたら、軽くなった。久しぶりの首が原因の頭痛である。
 研修所に移動し、先週中途半端で終わっている月報と月度計画の修正をした。
 日経平均の予想が大きく外れた。昨夜、世界の株式市場の状況とアメリカの長期金利はチェックしたのだが、円ドルレートをチェックするのを忘れていた。円安が確実に進行していて、日経平均は上昇していた。私は低下すると読んだのだ。
 講演タイトルがやっと決まったので、ケータイで操作して送信回答した。
 郵便局で本代を振り込んで帰宅した。この本は今月売りさばく予定のものだ。
 来週の講演(英語)の準備が進まない。

9月3日(火)「日経フォーキャストのトップ・・・の風さん」
 郵便局で投函した後、研修所に出社し、バタバタと仕事した。ただし、細かい仕事ばかりだ。
 全体会議に出た後、上司と再雇用後の仕事について打ち合わせた。やや面倒な仕事を依頼されたが、やるしかない。最後のご奉公になるかもしれないのだから。
 久しぶりにカロリーメイトの軽い昼食。
 午後から一人でロビーのソファの移動。続けて、応接室の使用方法変更のための事前実験の協力。結果はまずまずだった。
 午後3時を回ったので、日経平均の結果を確認した。早くも改善効果が出て、ランキングトップの成績となった。
 明日も頑張ろうという気になる。
 就寝前に、昨日と同じやり方で予測して入力した。

9月4日(水)「壊れるまで動き続ける扇風機と私・・・の風さん」
 ハッキリ言って絶体絶命だと思った。え? 何のことかって? 来週の英語の講演だ。
 事前にセミナー参加者から質問状が届いていた。回答できない内容ではないが、本番で質問されたら困る。英語で回答するなんて無理。
 そこで、事前に回答書を作成して、当日配布するか、あるいは事前に回答しておくのがベターだと思った。
 今朝の2時半に起床して、その準備をしたのだが、どうにもできないのである。老化して効率の落ちた私には、とにかく時間が必要だ。
 こうなったらできるまでやるしかない。
 ということで、絶体絶命と判断し、それでも突撃しか選択肢はなかった。
 今日は土砂降りで、雷まで轟く不穏な1日だった。
 書斎に長女の扇風機を置いてあるが、不吉なことに壊れた。スイッチが切れないのだ。まるで私の肉体のようだ。コンセントを抜かない限り、壊れるまで動き続ける状態になってしまった。
 止むを得ず、実家から運んできたレトロな扇風機を書斎に運び込んで稼働させた。
 今日の日経フォーキャストの成績は、2位だった。まずまずか。

9月5日(木)「懐かしい友人とバッタリ・・・の風さん」
 旧職場に出社して会議に出た。同僚から大きな梨を2個もらった。大好物である。
 製作所へ寄って、同僚と昼食を摂りながら歓談した。私の定年祝いだと言ってクッキーをもらった。
 本社に寄って、明日の出張の切符を受け取ったが、正門で何年ぶりかで同期の友人とバッタリ会った。台湾で総経理をしている優秀な人だ。
 台湾はいいところだから、一度奥さんと一緒に遊びに来なよ、と言われた。うれしいお誘いだが、はたしてそんな夢のような旅行が計画できるだろうか。お金も気持ちも体力も余裕を失いつつある私なのだ。
 定年になると、ますますこういった機会はなくなるが、不思議と最近本社で懐かしい人と出会う。最後が近い私への神のプレゼントかもしれない。
 研修所に着くと、印刷所の人が到着したところで、注文した新名刺を受け取った。ややフライングでMBAが追加されている。来週の11日が卒業課題の合否判定日だが、指導教官から合格ということだけは聞いているので、11日以降使用を開始するつもりだ。
 今夜は戸締り当番だったが、大ピンチなので、2週間後に代わってもらった。
 今日の日経フォーキャストは6位に落ちた。着々と正解との差は縮まっているのだが、参加している全員の精度が上がっているので、レースはし烈になっている。

9月6日(金)「自動車メーカーの真剣さに感銘・・・の風さん」
 慶應大学の日吉キャンパスで、モデルベース開発の講演会があるので出張した。
 予定より2時間早く出発し、中野教授を訪問し、来週のセミナーの打ち合わせをした。持参した大量の会社のパンフレットと、必死に用意した質問に対する回答集を渡して、私の準備が真剣なことを伝えようとした。
 そうしたら、先生はいくらか満足そうだったが、驚くべきことに、セミナーには通訳が同行してくるから、質疑の英語は任せてよいとのことだった。それを聞いて私は超ラッキーと思うと同時に、プレッシャーがかなり軽くなった。
 先生と昼食を一緒に摂った後、講演会を聴講したが、日産、トヨタ、ホンダ、マツダのモデルベース開発の実態を知ることができて感銘を受けた。これまで言葉は知っていたが、ここまで真剣に取り組んでいるとは思わなかった。
 ワークライフバランスやセキュリティやCSRなど、開発環境がきわめて厳しい中、格段の効率化を進める姿は感動的でもあった。
 今日の日経平均の予測は大きく外れ、10位に転落した。迷信ではないが、先行きが不安になった。

9月7日(土)「ケース発表会・・・の風さん」
 今日はビジネススクールでは最後のゼミで、ケース発表会である。
 昼に伏見駅に着き、最後だからと何度も利用した「なか卯」へ入り、牛丼とサラダのセットを頼んだ。頼んだと言っても、食券の自販機に入力と同時に厨房に情報が飛んでいる。席に着くころには、配膳されているくらい速い。ビジネスにおけるKFSの一つだろう。
 コンビニで一番好きなシルキーコーヒーを買ってキャンパスに入った。
 長沢ゼミ以外の聴講者も多く、40人くらいで盛況だった。
 いちおう指導教官から「合格です」と言われているが、何となく不安はある。それは他の人も同じようで、遠慮がちな言い方で発表は進んでいった。そして、ラストが私になった。おなじみ鳴海風の登場である。大企業に勤める老人より、ビジネスを学ぶ作家の方が受けがいい。
 しかし、今日もボケを2連発した。休憩時に女子トイレのドアを開けてしまい「ごめんなさい」と言うしかなかった。
 最後に講義室を出る時、リモコン付きポインターを机上に忘れてきて、長沢先生から渡された。情けない。
 懇親会にも参加した。ちゃっかり2冊販売もした。
 結局、鳴海風として卒業することになりそうだ。

9月8日(日)「英訳で徹夜・・・の風さん」
 今日はワイフの実家の両親を中心とした恒例の食事会で、今年も欠席せざるを得なかった。ワイフと長女、次女が参加した。
 水曜日の講演はこの春に当地でやったものの再演となるので、東京バージョンにするだけだった。それをちゃちゃっと完成させて……と思ったが、けっこう時間がかかった。
 火曜日の講演が問題だった。こちらも基本的に元ネタはある。しかし、英語でやるためにスライドも喋りも英訳しなければならない。
 しかも時間は今日と明日しかないのだ。明日と口走った時点で、明日の有休を覚悟していることがばれたであろう。え? 覚悟じゃなくて、当てにしているというのが真実だって? 確かに……。
 気の遠くなるような作業が始まった。
 自分でいちいち英訳するだけの実力はない。会社のグローバルウェッブサイトと、無料の翻訳サイトを利用しながら、スライドの英訳をしていった。最後は自分のセンスを信用するしかなかった。
 作業を進めながら、広範囲のトピックスは無理だと分かり、内容を絞り込み、同時にスライド枚数も減らしていった。
 明日から日経フォーキャストも再開するので、途中で予測値を入力した。
 結局、徹夜してしまったが、当然ゴールまで遠かった。

9月9日(月)「今日も英語漬け・・・の風さん」
 定時前に上司に電話をかけ、まるで選挙の立候補者のように最後のお願いだと有休を告げた。
 午前中を仮眠にあてた。もはや限界だった。
 午後になって起き出し、スライドの作成の続きを始めたがちっとも能率が上がらない。
 夕方になって、また説明用のスライドの枚数を減らし、その代わり、目次に相当するスライドや、決め言葉を入れて行った。
 昨夜予想した日経平均は正しい値と200円も違い、11位だった。ガックリきた。
 スピーチ原稿は、主に無料の翻訳サイトを利用した。作家らしい日本語原稿を作成すると英語がおかしくなるので、英訳しやすい日本語原稿を考えるしかなかった。
 また徹夜になったのでは本番に差支えがあるため、最後は思い切りで、午前3時に就寝した。
 明日の行きの新幹線で暗記できるだろうか。

9月10日(火)「英語の講演を終えたよ・・・の風さん」
 心配された雨は小降りで、傘が必要ないくらいだった。
 日吉キャンパスに着くまでに2回しか復習できなかった。
 したがって、暗記は断念して、原稿を手に持って講演することにした。カッコ悪いとか言っている場合ではない。伝えることが優先だ。
 中野先生がお忙しいので、マスターの学生が直前まで対応してくれた。来年トヨタ自動車に入社が決まっているという。お客様だ(笑)。
 さらに驚くことにカーレースをやっているそうで、国際ライセンスも持っているという。
 ビジネススクールの伊藤先生から聞いて知っているので、「一度走るとタイヤが摩耗しちゃうでしょ? タイヤ代がかかってしようがないのでは?」と聞くと、「タイヤメーカーがサポートしてくれるので」とさらりと返答。
 うーん。慶應ボーイはカッコよすぎる。
 今日一緒に講演する佐々木先生は元トヨタの方だった。あっちこっちにお客様筋の人がいて、やりにくいなあ。
 セミナーに参加するスイス連邦工科大学の学生さんたちがやってきた。20人以上いる。学生とは言っても全員企業から派遣されたビジネススクールの学生なのだ。1年半で500万円というから豪勢である。
 今日の私の講演は、名商大大学院卒業記念という意味合いもある。しかし、英語ができればなあ。ビジネススクールで学んだことを偉そうに織り込んで話せるのに。やはり還暦を過ぎた後は、英語のオーラルが残課題だ。
 学生を引率してきたDr. Hugo の日本語が上手なのには驚いた。尊敬に値する。
 いちおう原稿を手に持って喋ったので、考えておいたジョークをしっかり飛ばした。受けたのでうれしくなった。これで暗記できていたら、藤原正彦先生の留学時代の真似になるのだが。
 だいたい規定時間で講演を終え、質疑応答もたくさんしたが、通訳の方に全面的に助けてもらって、何とかこなした。
 誘ってくださった中野先生の期待に少しは応えられたと思い、私はホッとした。
 定年前の仕事としては、かなり重かった英語の講演が終わった。
 かなり疲労した感じがするが、予定した電車で都内の定宿へ向かった。
 チェックインして身軽になってから、近所の中華料理屋へ入った。生中を注文し、餃子やイカフライでパワーをつけ、チャーハンで腹を満たした。最高にリラックスした気分になれた。

9月11日(水)「技術士会の講演も終えたよ・・・の風さん」
 今日も有休なので、3日連続だ。ホテルの部屋から外を眺めると、雨上りの景色で、久々の東京雨男を感じた。
 部屋で軽くパンの朝食を終えてチェックアウトした。
 最初の目的地は日本橋。ビジネススクールの伊藤先生のオフィスを訪ねるのである。
 クレド日本橋のオフィスタワーは初体験だった。六本木ヒルズの米倉先生のオフィスを訪ねたときのようなドキドキ感がある。
 警戒が厳しい中、目的のフロアに着いて、外からインターホンで来意を告げた。
 中へ入ると、まるで外国映画のマンハッタンかどこかのオフィスのようだった。思わず、胸の中で「すっげぇー」と叫んでしまった。
 その後、伊藤先生と外へ出て、コーヒーショップへ案内してもらった。
 伊藤先生の最大の関心は、作家がどのようにして小説を書くかという点だった。既に私の作品は3冊とも読んだという。
 私は関心の根拠が、トレーダーとしての勉強、情報収集にあることに気付いたから、トレーダーの本質について質問した。
 次々に答えてくれるトレーダー心得は、私にとっても小説のネタになる貴重な情報だった。
 先生と別れ、土地勘のある新橋駅周辺で昼食を摂った。青森県料理の店だ。
 その後、第一ホテルのロビーで出版社の編集者と会い、来年へ向けての出版の相談をした。原稿を預けてあるので、いよいよ期待が高まった。
 夕方、今日最後の仕事に向かった。昨年に続く技術士会での講演である。
 名古屋でやった講演の東京バージョンを昨夜作ったので、自信があった。唯一の不安と言えば、マックブックエアーとプロジェクターとのマッチングだ。名古屋では動画がうまく出せなかった。
 不安は的中した。スライドも動画も容易に映し出すことができなかった。
 しかし、慌てふためきながらも、偶然うまくいって、何とか講演を終えることができた。
 同時中継した岡山も含めてたくさん質問が出た。さすがと言わざるを得ない鋭い質問が多かった。もっと勉強しておかなければ。
 うれしい発言もあった。私の作品のファンだという方がいて、7冊も持参してきたのだ。もちろんサインが目的で、私は喜んで、しかし左手でゆっくりとサインした。時間がかかった。
 技術的レベルの高い人たちへの講演は本当に安心だし、こちらも勉強になる。
 持参した本も20冊完売し、やっと身軽になった私は、満足感に浸りながら家路についた。
 最後まで雨にたたられることはなかった。

9月12日(木)「歎仏会・・・の風さん」
 母の新盆ということもあり、心月斎の歎仏会(たんぶつえ)に招待された。父のときはその母が家内と参列したとのこと。
 先にお墓を訪れて、花を活け、焼香した。私たち夫婦の上空を連なったオニヤンマが飛行していたが、父と母の霊の化身(けしん)だろうか。
 歎仏会は、曹洞宗の法要の一種で、声明(しょうみょう)という節をつけたお経が大勢のお坊さんで勤められる。
 今日は4人で、木魚の他に鉦と銅鑼が使われた。確かに、これは音楽だと思った。
 本堂の仏壇の前には今年新盆を迎える人たちの卒塔婆がたくさん並んでいた。
 焼香の後、その卒塔婆を頂戴して、食事がふるまわれた。施餓鬼のときのメニューに加えて、刺身と飲み物があった。お庫裏(くり)さん(曹洞宗の住職の妻)と言っても前住職の奥様なのだが、缶ビールを勧めて回ってきたが、皆、辞退している。私は午後は会社だし、家内も自宅でトールペインティング教室である。飲むわけにはいかなかった。
 ご飯とみそ汁をお代わりして、歎仏会を終えた。
 これで年内の法要は、母の1周忌だけである。
 人なつこい犬の頭をなでて、心月斎を後にした。
 キャメロンで本社へ直行し、顧問への説明と打ち合わせ、そして社内展示会を見学してから退社した。

9月13日(金)「今日は良い日のはずだが・・・の風さん」
 本社へ出張し、会議に出て、昼食後、旧職場へ移動した。
 ひたすら身辺整理。だんだん迷いなく捨てられるものが少なくなってきた。母との別れに時間がかかっているのと同じように、会社での足跡にも捨てがたいものがある。それでも、残しておけないことが分かっているので、思い切って捨てた。
 今日は13日の金曜日でおまけに仏滅である。確率的には3〜4年に1回しかない。その日に気付いたのは縁起が良い証拠、と思うようにしている。だから今日はめでたいのだ。
 明日から秋田へ出かける。中学と高校の同窓会があるからだ。特に中学は45年ぶりの再会となる。ところが、これが吉と出るか凶と出るか不安がある。
 なぜなら、村立中学校で、同級生のほとんどは小学校からの同級生なのに対し、私は2年のときからの転校生でわずか2年しか一緒にいなかった。そして、田舎の中学生とは異質で、両親は東京生まれ、私は自意識過剰の受験生だった。クラブ活動もしなければ、生徒会活動もしなかった。きっと嫌な奴だったに違いない。どのように受け入れてくれるか不安がいっぱいだった。
 45年間の空白があって、新たな友人関係として再スタートするのか、それとも過去との完全な決別になるのか。
 あなた、考え過ぎよ、とワイフが呆れ顔で言った。

9月14日(土)「45年ぶりの再会・・・の風さん」
 昨日まで本当に忙しくて、お土産を買う余裕がなかった。しかし、運悪く午後の便になったのを逆手にとって、出発前にお土産を準備することにした。
 地元の観光物産を置いている小野浦までキャメロンを飛ばし、「美浜の塩」を買い、パンフレットも入手した。
 ソニーの創業者である盛田昭夫さんが15代当主になる常滑の盛田酒造へ行き、ここでしか買えない原酒を購入し、ついでに「名古屋みそ」も買った。パンフレットを入手したのは言うまでもない。
 10人分の味噌と塩のお土産に加えて、当然自分の本もたくさん用意したので、荷物はべらぼうに重くなった。
 セントレアまで初めて電車で行った。太田川乗り換えで、その先はあまり乗った経験がない。大きなトランクを抱えた旅行者と学生で、意外と混んでいて、座れなかった。
 バスを利用するとき乗り換える常滑駅を通過するとき、警察署が見えた。あそこの駐車場にキャメロンを置いて行く方法もあったかとふと思う。
 セントレアで電車を降りたら、冷房が効いていて非常に涼しかった。重い荷物をカートに載せて、航空会社のカウンターを目指した。
 ラッキーなことにカウンター嬢から、土産物をクッション入りの段ボール箱に詰めましょうかと言われた。もちろんOKだ。
 キャリーバッグと重い土産物袋がなくなったので、超身軽になった。
 ラーメンで昼食にした後、スカイデッキに出た。先端まで行ったとき、ボーイング737が着陸してきた。主翼の先端がピッと折れ上がっている機体だ。先端で反対側へ回って戻ってくると、セグウェイに乗った警備員が二人、ゆっくりと巡回してくるのに遭遇した。別世界に来たような気がした。
 空港内に戻ってソフトクリームでほてった体を冷やし、手荷物検査を受けて出発ロビーに向かった。
 いたるところでWi-Fiが使えるので、iPadminiを取り出すとすぐネットにつながった。初めてiPhoneのようにメールを送ってみたら正常に送れた。iPadminiでも同じことができるのを初めて知った。だんだん気持ちが高ぶってくる。
 機内サービスのコーヒーは美味ではないので、缶コーヒーで気持ちを落ち着かせた。
 秋田便はボンバルディアの双発機Q−400である。下手なジェット機より安心感があるのは私が機械エンジニアだからだろう。
 非常に安定したフライトの後、数年ぶりの秋田に着いた。
 昔、どうしても成績で上回ることができなかった友人が出迎えてくれた。すぐには見分けがつかなかった。ただの初老の男に見えた。しかし、これこそ逆に自分の現実の姿なのだ。45年ぶりの再会なのである。
 彼のクルマで国道7号線を南下した。45年間の空白は簡単に埋めることはできないが、とにかく思いつくまま話す。家族のこと、仕事のこと、……。
 友人は小学校の校長先生である。今夜は、彼の親しい校長会のメンバーが一席設けてくれていた。来年1月の鳴海風としての講演会の前哨戦である。なので、懇親会の席では、私は彼の同級生ではなく、知人の作家である鳴海風を通すことに打ち合わせた。
 ネットで予約したホテルにチェックインして(学割である!)荷物を置き、彼の自宅へ向かった。
 これまた45年ぶりに彼のお母さんと再会し、彼の奥さんのクルマに乗り換えて会場へ向かった。
 昔村だったところは、平成の合併の結果、今は由利本荘市内になっているが、景色は昔とほとんど変わっていない。
 懇親会が始まるまでの1時間、コーヒーを飲みながらとりとめのない話を続けたが、とにかく45年間の時の長さを感じた。
 懇親会では鳴海風として、先生方の質問に真剣に回答した。いずれも校長先生だが、専門の科目をお持ちなので、その視点からの質問に対する回答が一番楽しかった。なるべく意外な回答の仕方を選んだからだ。
 最後にお土産を渡して盛り上げたが、パンフレットをホテルに置いてきてしまった。ボケの一つもない日はない。
 気持ちよく酔って、また友人の奥さんの運転するクルマでホテルまで送ってもらった。
 本当の45年間の空白を実感するのは明日である。

9月15日(日)「還暦同窓会・・・の風さん」
 昨日からゆったりした秋田時間が流れていた。いや、これこそ普通の生き方なのかもしれない。私は無茶し過ぎる。
 カーテンを少し開くと雨が降っていた。天気予報では午後から雨だったが、台風18号の動きが早いのかもしれない。私みたいだ。
 このホテルには大浴場もある(行ってないが)。朝食は無料で宿泊客に開放状態。1階のレストランは朝食だけの施設だ。
 早速出かけてみると、こじんまりしたバイキング形式だった。いや、これで十分。野菜中心の和食にした。
 窓の外は駐車場で、県外ナンバーがずらりと並んでいる。仕事で利用する人が多いのだろう。食事中にどんどん出て行った。
 雨は強くなる一方だった。
 なぜか頭痛もして、行動を起こす気になれない。それでもホテルに迷惑をかけてはいけないと、10時にチェックアウトすることにした。
 とその時、Tシャツの上に羽織るワイシャツがないことに気が付いた。友人の奥さんのクルマの中に忘れてきたに違いないと思った。パンフレットをホテルに置いたまま懇親会に出かけた私だから、それは当然のちょんぼだと思われた。
 急いで友人のケータイにメールした。
 いよいよ部屋を出ようとしたとき、クローゼットの衣紋かけにぶら下がっているワイシャツを発見した。
 典型的なボケ症状だった。慌ててまた友人のケータイにメールした。気の毒で返信も来ないだろう(実際、来なかった)。
 寒いくらい冷房の効いたロビーで昼前まで過ごした。朝刊を読み、外の雨が強くなるのを眺めながら、昨日までの日記をiPadminiにせっせと打ち込んだ(この日記は、帰宅してからやっとアップしようとしたときに、操作ミスで削除してしまった。既に戻す手順は使えず、iCloudにも保存されていなかった)。
 いっこうに雨脚が弱くならなかったので、フロントに頼んでタクシーを呼んでもらい、中学の同窓会会場となるホテルへ向かうことにした。ここより大きなホテルなので、レストランで昼食も摂れるだろう。
 990円で着いた。
 レストランを目指してキャリーバッグを引いて行くと、中央のテーブルで6人くらいの男女が食事中だった。その中の一人の女性が私の方を見て「@@さん(私の本名)じゃない?」と叫んだ。正解だが、私は相手が分からない(笑)。リアクションに悩む(苦笑)。
 午後2時から始まる還暦同窓会に、12時前から来ている友人たちがいたのだ。
 あとからまた一人来て、8人くらいでランチになった。私はすぐに持参の卒業アルバムを取り出して、「失礼ですが、どちら様ですか?」などと他人行儀な質問を繰り返し、アルバムの写真と本人を見比べるのだが、?(はてな)マークの連発だった。45年というタイムギャップがなければ、この現実は、同窓会でなくPTA総会(つまり自分を棚に上げて、同級生の親たちと会っている気分)だった。
 悲しいことに一人二人を相手にしているなら、だんだん衰えたメモリーに情報をインプットしていけるのだろうが、これだけ大勢だと、それは無理だった。
 今日の出席予定名簿が回ってきた。高鳴る胸をおさえてチェックすると、私が勝手に定義している初恋の女性は欠席だった。残念なようなホッとするような複雑な心境だった。
 1時間以上もプレ同窓会をやりながら、私はまだ浦島太郎状態だった。
 開会が近付いて、2階の受付に移動すると、何となく記憶のある顔と出会えて少し安心した。
 次々に同窓生がやってくる。ほとんど思い出せない。名乗って言葉を交わすうちに思い出せたら上出来だった。
 個性的な連中はさすがにすぐ思い出す。
 くじ引きで円形のテーブルの席が決められたが、両脇は思い出深い友人だった。左は当時おっかなかった奴で、私が「おっかない奴」と指摘すると苦笑していた。今は立派なビジネスマンである。右はおそらく当時最も多く言葉を交わした女性で、幼なじみに近い。その後のことも少し知っていて、ざっくばらんな話になったが、東日本大震災やハーブガーデンといった共通の話題があったのには驚いた。離れ離れでもどこかでつながっていたのかもしれない。
 別室に移動して神主のお祓いを受けた後、写真室へ移動して、記念写真撮影となった。
 学年は3クラス構成だった。その還暦同窓会に出席したのは60人である。半数近い出席率だ。1クラスに平均すると十人弱の所在不明と死亡がいるので、これは立派な数値だろう。写真は夕方までに配られた。
 この日に来れたのは、昨日空港に出迎えてくれた友人のお蔭だが、当時生徒会長だった友人は、還暦同窓会では表立った動きをせず、静かに会場を回りながら気配りしていた。彼は何度も私にステージに立って近況挨拶(つまり作家業のPR)を勧めてくれたが、今日は一人の同窓生に徹することにしていたので、それは固辞した。しかし、彼があちこちで囁いたせいか、作家業について質問してくる友人や本が欲しいという友人もいて、名刺入れの作家の名刺もバッグの中の本もみるみるなくなっていった。
 おっかない奴の一人で、当時まったく口をきかなかったのに、今回初めてじっくり話をした友人がいる。彼が卒業後北海道に渡って船乗りになったことは知っていたが、その後の人生である。当時はいつも怖い顔をして、笑顔など見たこともない。それが今日は実に柔和な表情をしているのだ。15歳で漁船に乗り込んだ彼は苦労に苦労して一家をかまえたという。それが39歳のときに船上で機械に右腕を巻き込まれるという事故に遭い、以来、右手が使えなくなった。それでも家族を路頭に迷わせるわけにはいかなかったというから、その後の苦労は想像に余る。高専を出た息子さんは地元の放送局に勤めているというから、すばらしい人生だったのだ。
 中学校時代、受験しか頭になかった私からすれば、あまり勉強熱心でなかった友人たちの記憶は薄い。しかし、同窓会に出席するために荷物を準備しているとき、会社の名刺が不要なことはすぐに分かった。私だけではない。どちらかというと良い高校、良い大学へ進んだ連中は、還暦で勤めをリタイヤすることになる。ところが、そうでない友人たちは、学歴に頼らない生きざまを見せた。その結果、個人事業主として堂々たる風格を見せている友人たちが多いのである。人生の脱落者や同窓会の欠席者には、かつて中途半端な優等生だった友人が多い気がする。
 ふと周囲を眺めれば、Tシャツ1枚の私はみすぼらしい老人で、裸一貫で人生を生き抜いてきた連中は、背広にネクタイ、胸を張って酒を飲んでいる。そんな私でも、皆が温かく迎えてくれたのは、やはり同じ還暦を迎えた同窓生だからだろう。
 秋田では午後3時から高校の還暦同窓会が始まっている。遅くとも2次会(午後7時から9時まで)の間に合流したいが、ここを離れたくない気持ちが時間とともに増していた。
 夕方には雨は上がっていた。
 校長先生の友人がセットしてくれた2次会にも出て、幼なじみに近い女性の運転するクルマで、同じ秋田へ帰る友人と一緒に送ってもらった。
 45年前にこんな還暦同窓会を誰が想像できただろうか。
 秋田のホテルまで送ってもらったが既に9時で、高校の同窓会の2次会は間に合わなかった。しかし、分散した3次会メンバーが、ホテルのロビーまで来てくれたので、どうにか3次会に入れてもらえた。
 なまはげのいる居酒屋で閉店まで語り合ったが、中学の同窓生とはやはり違う(県内屈指の進学校なので、卒業生には錚々たる人物が多いのだ)。それでも、小グループとなった3次会メンバーは、肩の凝らない人たちで、本音の話ができた。
 中の一人とは4次会までやって、旧交を温めた。
 多くの友人たちと交流し、あらためてこれまでの60年がとてつも長く、これからの時間はとても貴重なことを感じた。

9月16日(月)「無事帰着・・・の風さん」
 一夜明けてまた雨がぽつぽつ降り出した。
 午前中の便で秋田を出発するので、空港まで早く行かねばならない。リムジンバスに乗るため、朝食も抜きで駅前へ急いだ。
 バス乗り場で昨夜の3次会メンバーの女性に偶然一緒になった。
 私は「なるようになるさ」ぐらいの気持ちだったが、彼女は台風の影響で東京便が飛ばないのではないかと真剣に心配していた。
 車中で雑談しているときに、お嬢さんからメールが入り、欠航にはなっていないという情報で安心していた(しかし、空港に着いてみると、実は東京周辺が台風が最も荒れ狂っていて、欠航やとんでもない遅延が起きていた)。
 空港で彼女と別れ、チェックイン後(直前まで飛ぶかどうかは不明とのことだったが)、私は土産物の購入に突進した。
 手荷物が減っていたので、たくさん買うことができた。それらをバッグに詰めて、航空会社のカウンターに預けた。
 そこでようやく安心してレストランに入り、朝食を摂ることにした。
 私の乗るセントレア便は天候調査中で、同窓生の乗る東京便は5時間遅れになっているようだった。
 レストランの窓の外にはボーイング787が駐機していた。雨はほとんど小降りだが、目的地によっては欠航になってしまうのだ。
 出発時刻が迫ってきてもセントレア便の天候調査中は変わらなかった。
 思いついて職場へのお土産を買った後、手荷物検査を受けて出発ロビーへ入った。と、そのとき、買ったお土産を待合室に置き忘れたことに気が付いた。係員に告げると、すぐに探して持ってきてくれた。今日、最初のボケだった。
 掲示板の情報は天候調査中のまま30分遅れでの出発となった。
 帰りもQ−400である。
 セントレアまでの揺れはほとんど気にならなかった。しかし、着いてみると、セントレアは強風が吹いていた。朝から大変な状況だったらしい。
 私は運が良かったのだ。
 迎えに来てくれたワイフを昼食に誘って、ゆっくり同窓会の話をした。行ってよかったわね、と言われた。確かにそうだ。過去との決別になるかもしれないという不安は杞憂に終わったのだ。
 いっこうにおさまらない強風の中、ワイフの運転で家路についた。
 今日も有休だが、ちゃんと敬老の日になった。

9月17日(火)「日経平均の終値当てが再開・・・の風さん」
 台風一過の青空が広がっていた。定年退職までのイベントがだんだん少なくなっている。
 先週は一度も顔を出さなかった研修所に出社した(だから秋田土産が必要だったのだ)。
 午前中は会議に出て書記をやり、カロリーメイトの昼食後、パソコンの設定変更業務をやった。これがけっこう大変で、何度も担当者のアドバイスを必要とした。年をとると気が短くなって困る(と担当者も思っていただろう)。
 買い物をして帰宅したら、『江戸の天才数学者』の中の文章を国語の問題に使いたいという依頼状が来ていた。やはりこの本はかなり多くの人の目に触れているのだ。もちろん許諾する予定。
 昨日はお休みだったが、今日から日経平均の終値当てが再開した。今日は第1位だった。
 疲労が出て、夕食後ダウン。

9月18日(水)「日経平均終値当てで2日連続1位・・・の風さん」
 午前1時に目が覚めたので、それからたまっている雑務の処理を始めた。気が遠くなるほどたくさんある。
 まだ卒業確定の連絡を受けていないが、催促されているので、修了生満足度アンケートと終了報告書を書き上げた。
 あっという間に外が明るくなってきたので、半徹夜はまずいと目覚ましをかけて午前6時から1時間だけ仮眠した。
 研修所に出社したら今夜の戸締り当番を代わってくれないかと言われ、金曜日と交換した。
 会社では定年退職の準備に追われた。
 今日も日経平均の終値当てで第1位となった。2日連続で第1位となると、妙な自信が出てくるから人間とは愚かなものだ。
 やっと提出した卒業課題(ケース)の合格連絡があった。
 マネジメント研究科の合格者数は、東京校や大阪校を合わせて40人とのことである。

9月19日(木)「一気に転落・・・の風さん」
 今朝寝たのは午前3時である。
 研修所に出社し、その後製作所へ出張して会議に出てから旧職場へ移動した。
 今日も捨てがたい書類の中の一つ治具設計図面を捨てた。すべて手書きのもので自信作だが、データは残っているので、職場の先輩に見せて自慢した後、きれいさっぱり処分した。
 夕方の会議に出てから退社した。
 帰りに家電量販店に寄って買い物をした。
 定年退職後は、小遣いももらえない身分になるので、我が家の必要経費はすべてワイフに請求することになる。ボランティアでの購入もあと少ししか続かない。情けない亭主だ。
 今日の日経平均の終値予想は一気に10位に転落した。明け方の情報で見直していれば、これほどみじめな結果にはならなかったろう。
 明るい話題も書く必要があるな。辻真先先生から新刊が届いた。『戯作・誕生殺人事件』(東京創元社)である。表紙の絵がかなり派手。コミカルなミステリに違いない。作家には年齢を感じさせない仕事をされる方が多いが、私はできるだろうか、そんな途方もないことが。おっと、また暗い表現になってしまった。どうも定年近いとマイナス思考になりがちだ。

9月20日(金)「普通の生活に戻れるか・・・の風さん」
 研修所に出社し、途中本社に顔を出し、再び研修所に戻って戸締り当番までやった。
 戸締り当番は定年後はお役御免となる。しかし、今日が最後ではない。まだ来週もある。
 スイス連邦工科大学のHugo先生からのメールにやっと返信した。少しジョークを交えたが、Hugo先生なら笑ってくれるだろう。
 今日も日経平均の終値予想は芳しくなく7位だった。
 定年退職へ向けて色々とやることがあるが、今日は、某病院から薬ももらってきた。
 超多忙のピークは過ぎたので、そろそろまともな生活に戻りたいと思って、今夜は早寝した。

9月21日(土)「突然パソコン業務に巻き込まれた風さんの巻」
 地元のかかりつけの病院へ行き、今回は頚椎症の痛み止めの薬をもらってきた。今日は異常なほど混雑していたが、上手に処理してくれて比較的早く診察を終えた。そのとき初めて、自分が作家をしていることなどを話した。持参した『江戸の天才数学者』を見せると、「あ、この作家知っている」と言われた。中日新聞で見た記憶があったのだろう。その場で贈呈した。
 この医者は、会社の友人と高校が同級生である。そのことも話した。
 また、この医者の妹さんが、私のワイフとトールペインティングで同じ先生の教室に通っていた。そして、最近私が知り合ったある会社の会長さんの奥さんだった。そのことも話した。
 ここでいつかは死んでいくつもりなので、そろそろ正体を語っておいてもいいだろうと思ったのだ。
 最近発売されたiPhone5sと5cが爆発的に売れている。私のはiPhone5なので、わざわざ替える必要もないだろうと思っていたら、しっかりOSのアップデート通知があって、iOS7.0にアップデートされた。むろんハードは変わらないが、OSがアップデートされたのはうれしかった。
 と、そんな話をしていたら、ワイフから「そろそろサンルームのパソコン、何とかしてほしいんだけど」と言われた。
 こいつは定年退職後の課題だと思っていたが、先延ばしできない性格の私は、軽く請け負ってしまった。
 問題はどのマシンと交換するか、だ。
 2代前の執筆マシンを持ってきて立ち上げてみたが、まもなくOSが不調になった。
 2代前のモバイルマシンを持ってきて立ち上げてみたが、まるで動作しなかった。
 そこで、1代前の執筆マシンと交換する決意をした。ワイフがやりたいインターネット環境、印刷環境を再現し、データもそっくり移動させねばならない。作業は順調に進んだが、データの移行はまったく進まなかった。

9月22日(日)「お彼岸の墓参・・・の風さん」
 サンルームのパソコンのデータをいったん外付けのシリコンディスクに移そうとしたが、うまくいかなかった。
 昨夜、仕掛けた結果を今朝チェックしてみると、エラーで止まっていた。やり直しである。
 続いてワイフは、CDプレイヤーが壊れたので、新品が欲しいと言い出した。
 午後、ワイフとキャメロンで出かけることにした。
 ガソリンスタンドへ行き、超撥水オプションの自動洗車をしてから給油し、家電量販店へ向かった。
 安いCDプレイヤーを購入し、Uターン。家の近くのスーパーで仏花を購入した。後で彼岸の墓参をしなければならない。
 夕方、外へ出ると、空には一面のうろこ雲が広がっていた。いわし雲とも呼ばれる。明日は雨なのだろうか。せっかく洗車したのに。
 ワイフのアクアでお寺へ行き、しっかり墓参した。歎仏会以来である。
 墓地を後にする頃、あたりはすっかり暗くなっていた。
 仕事のピークは過ぎたが、なかなか楽になれない。

9月23日(月)「人生最後の卒業式・・・の風さん」
 旧職場へ電車で出社し、昼過ぎに同僚に駅まで送ってもらった。今日は午後有休で、名商大大学院の卒業式に出席する。
 大学時代の恩師はユーモアに富んだ方で、最初の講義のときに、自己紹介で「僕の最終学歴は仙台自動車学校です」と話して受講生を笑わせた。
 50代で2つの社会人入学を経験した私は、これが本当の最後の卒業式になるだろう。
 会場のホテルに着くと、もうアカデミックガウンへの着替えが始まっていた。外国映画でしか見たことがないいでたちで、学生も先生も卒業式をむかえるのである。角帽をかぶると揺れる房が顔にかかってうっとうしい。「七五三だって経験してない老人が、こんなことするとは思ってなかったよ」と周囲を笑わせたが、年とると恥ずかしいことでも案外平気になるようだ。今日の(おそらく)最年長卒業生は、複雑な気分だった。
 妻子といった家族を同席させていた同級生もいて、これは本当にうらやましかった。先生方は「厳しい学業のために母子家庭同然だったでしょう」とねぎらっていたが、家族は夫や父や息子の必死な姿を見てハラハラしていたに違いない。それが、今日の尋常でない卒業風景を見て、すべて清算されるのだ。
 学位記の受け取り方も独特でよかった。創業者の残した角帽に触れて、同窓会OBと握手し、学位記を受け取ると、記念のロープを首にかけられる。
 学長の挨拶は印象的だった。今日の60人の卒業生のうち社会人は57人だという。2年前に入学した数から計算すると、半数近くが脱落していて、だいたいそんなものだとのこと。MBAの国際認証をもつ大学院として、容易には卒業できないことを学長は十分に認識している。そして、逆に、それだけ厳しい環境を突破した卒業生に対し、「君たちの活躍できる場は世界にある。狭い社会に閉じ籠るな、自信を持て」と本気で言えるのである。異端の私も、私なりのやり方で(作家として)学んだことを生かしていかねばならない。
 卒業生代表の謝辞も立派で驚いた。どこの世界にも有能な人材はたくさんいるのだ。日本のいや世界の将来は明るい。
 祝賀パーティになるとさすがに理性が戻ってきて照れ臭かった。同級生たちの卒業をお祝いする気持ちで十分だと思った。
 さらに2次会にも参加した。いつもの懇親会と違い、社会人としての付き合いで、同級生らがビジネスマンとしても優秀なことを思い知った。
 明日は会社で今日のことをしっかり皆に伝えよう。

9月24日(火)「最後の戸締り当番・・・の風さん」
 研修所に出社し、午前中は会議を一つ。カロリーメイトの昼食後、私が主催する会議で、ビジネススクールの卒業課題だった自作のケースを紹介した。そして最後に、本当につらかった勉強と昨日の感動的な卒業式の様子を語った。本当に厳しいグローバル時代に第一線で活躍するためには、勉強であれ仕事であれ、早い段階に修羅場を経験する方がいい。もちろん強力な後方支援部隊も必要だ。
 回覧雑誌の中にトヨタ自動車の社内報があり、ふと後ろの方にある定年退職者のページを見たら、お世話になった部長(当時)のお顔があった。何人かの部下を交代で共同開発のために送り込んだ部署の部長だった。若いころから芸術的な活動もされていた方とのことで、私も自己紹介し、拙著を差し上げたことがあった。それほど年齢差はないだろうと思っていたが、同い年とは知らなかった。
 夕方、社長報告会があり、定時後は戸締り当番だった。
 戸締り当番は役職者だけの持ち回りの仕事で、今夜が最後である。定年退職日の少し前にも順番が回ってくる計算だったが、当番表を作成している方が武士の情けで外してくれたのである。
 午後8時を回って、女性もいなくなったので、まだ残っている職制が「あと、やっておきますよ」と言ってくれた。その言葉に甘えることにした。
 そろそろ虫も減って来たので、有路道路を飛ばして帰宅した。

9月25日(水)「内覧会そして処女出版・・・の風さん」
 旧職場に出社した後、近くの会社の内覧会に出かけた。セラミック関係の装置を開発製造販売している会社である。
 セラミックにはフィルターの機能があって、今回は東日本大震災で事故が起きた原発から飛散したセシウムの吸着にも応用される。今日は、大学の先生3人の講演があり、それらの聴講に集中したため、工場や設備の見学はできなかった。
 決して他人事ではない東日本大震災だが、身近なところでそれに関する深い話を聴けたのは不思議な気がした。
 日差しの強い中、研修所へ移動し、昨日の社長報告会の続きに合流した。
 今日は研修所で先輩が初めて出版した本を頂戴した。メッセージ性の高い講演をされる先輩なので、ぜひ本にして出版してほしいと伝えていたが、遠慮していてなかなかその気にならなかった。しかし、こうして本の形になると、先輩の想いがぎっしり詰まっているだけに、世の中に価値を残されたと実感できるす、後輩の私も大変うれしい。
 帰宅し、明後日の退職手続きのための資料を、ワイフに半分手伝ってもらって作成した。

9月26日(木)「明日は退職手続き・・・の風さん」
 旧職場で書類の整理をした後、本社に寄って退社日までの臨時の駐車証をもらった。退社手続きで駐車証は返却するので、必要なのだ。
 それから研修所に移動して会議に出、明日はできないので来週の会議の準備をしておいた。
 体力不足で相変わらず仕事の能率が上がらない。もう少しやることが減ってきたら、筋力トレを復活させねばならない。しかし、間に合うか。
 明日はいよいよ退職手続きだ。しかし、なかなか気合が入らない。疲労感を強く感じたので、先に寝て、早起きして最終チェックをすることにした。

9月27日(金)「退職手続き・・・の風さん」
 運良く3時半に目が覚めた。
 久しぶりに湯船に浸かってみた。うとうとしてしまった。相当に疲れているらしい。
 書斎に戻って、どうしても出しておく必要のあるメールを書いていたら、机の上の書類の陰を中型のゴキが歩いて行った!
 曲者(くせもの)!っと時代がかった騒ぎ方をしてはいけない。急いでゴキジェットを持ってきたが、もちろん後の祭り。どこにも見当たらない。
 急いでメールを出してしまい、階下へ降りた。
 退職手続きの書類のチェックは食堂のテーブルでした。落ち着いて、集中してやれるのは、朝方だけになってしまった(のかもしれない)。
 作成忘れの書類を1枚発見して書き上げた。ホッ。
 しかし、大問題を発見した。一番大事な社長宛ての退職届に、承認印が3つ不足していることだった。
 退職手続きは今朝の9時半から本社で予約してある。それまでに3つのハンコがもらえるだろうか。3人のうち1人でも、有休だったり出張だったり、フレックス出社にしていたら退職届は完成しない。
 早めに出社するしかない。それにしてもこの興奮は何だ? ドイツで学会発表して帰国するとき、空港で免税手続きをするため、出発時刻が迫っている中、一人で走り回ったときと似た感覚だ。ドキドキではないワクワク。私のこれまでの会社での仕事ぶりを象徴するパターンである。
 研修所に出社すると3人のうちの1人、上司は既に出社していた。ラッキー1つ。
 そのうち定時前に、3人のうちの1人、書記さんが出社してきた。ラッキー2つ。
 もう1人は製作所に勤務している。電話したら出社していたので、今から行くから待ってて、とお願いした。ラッキー3つ。
 キャメロンで製作所に着いたのが9時だった。
 ハンコを押してもらっている間に、本社へ電話して、手続きに入るのが少し遅れると伝えて了解してもらった。これで安心。
 手続きを開始したのは、9時35分だった。セーフ!
 直前の頑張りが功を奏したのか、たくさんある手続きはほとんど問題なく進行した。宿題はわずかしか残らなかった。
 すべて終わってから担当の女性が、笑顔で感心していたから、不備のある人が多いのだろう。それは当然だ。還暦はやはりピークを過ぎたことを実感する年齢なのだ。私の場合、ワイフの協力とかなりのパワー投入で何とかやれたのである。特に今朝の土壇場での頑張りは爽快だった。私はこうやってこれまで何度も会社でのピンチを切り抜けてきたのだ。
 昼食後、研修所へ戻り、手続きが終了したことを皆に告げて、今度は旧職場へ向かった。
 旧職場でも退社日までの臨時の駐車証をもらった。もうキャメロンには会社の駐車証は貼られていない。駐車証も権威の象徴の一つで、たいていの製作所の中まで入れるものだった。それを奪われた格好で、脱力感がある。
 ますます日が短くなって、夜のとばりが降りた中、旧職場を後にした。ここへ来る回数もあと数えられるほどだ。

9月28日(土)「ピアノとバイオリンのコンサート・・・の風さん」
 昨日は帰りにアースレッドを買って、書斎を消毒したので、あまり仕事はできなかった。
 しかし、睡眠たっぷりの今日は、朝から気合が入っていた。山積している雑務を前にしても、へこたれることはない。
 午前中は地元の図書館へも行ってきた。何ヶ月ぶりか思い出せないほど久しぶりだ。そろそろ文章サークル再開の挨拶にと思ったが、一人は仕事中で会えず、一人は忙しくてあまり会話ができなかった。
 昼食後も雑務の山崩しを続けたが、あっという間に夕方になってしまった。
 今夜は次女と名古屋で約束があった。ピアノとバイオリンのコンサート(どちらかというとライブといった方が当たっているか)を聴くのだ。
 場所は、次女が今年個展を開催した喫茶店。
 名駅周辺で買い物をしてから地下鉄で向かった。次女とは現地集合。
 先に到着した次女が料金を支払っていて、今夜は私の退職祝いだという。とりあえずその気持ちを受け入れることにした。
 中華中心の料理と好みのフリードリンク(二人とも白ワインにした)を楽しみながら、第一部と第二部にアンコールもすべて聴いた。
 世界旅行をテーマに各国の有名な曲中心で気楽に聴けたし、愉快な解説も楽しかった。コンクリート製の店は、ピアノの音には不向きだったが、演奏者はなかなかの好演だった。逆にバイオリンにはちょうどいい環境だったが、演奏者はやさしい性格の持ち主らしく、強烈さはなくて心地よい響かせ方だった。どちらも芸大の女学生で、こうして場数を踏みながら勉強し、音楽人生も楽しんでいるようだ。若さとエネルギーを感じた。
 終電になってしまったが、私自身またピアノの勉強をしたくなったほどで、良い時間の過ごし方ができた。

9月29日(日)「インド人のおもてなし・・・の風さん」
 昨夜の就寝が少し遅くなった分、今朝は昨日より早起きできなかった。今夜も用事があるので、雑務を急がねば。
 しかし、遅々として進まなかった。頑張ったのは、母の家にあったこけしを書斎に並べたことだろう。この調子だと、最終的に書斎は書庫と工芸品の陳列室となる。工芸品を少しでも多く飾るためには、書棚の本は原則として資料だけにして、読んだ小説類は特殊物入れに置くしかない。
 今夜は会社の同僚との飲み会である。インドに赴任していた元部下が一時帰国するので、私の定年退職祝いの一席を設けてくれた。
 常時に日本にいる同僚なら簡単に受け入れることはなかったが、インドから一時帰国というので、受け入れた。
 せっかくなので、私も社内に声をかけ、彼が楽しめるように雰囲気づくりをした。
 名駅近くのさかな料理の店を同僚が予約してくれて、コース料理や飲み放題でない好きなメニューを注文というスタイルにした。インドで食べ物に不自由している同僚にはこれがベストの選択だと思った。
 個室でゆっくり話ができたのもよかった。
 5人でスタートし、1時間半して6人目が登場、2時間を経過して7人目が合流した。
 私の話はほとんどせず、インドの話題が最高のごちそうとなった。
 最後はプレゼント交換となり、盛り上がった。インド人(ではないが、赴任している同僚)から、インドで見たのとよく似たペンダントというのをもらった。磁石付きの日時計になっていて、私のために探し回ったらしい。本当に感謝である。
 私も日本酒で気持ちよく酔って帰宅したが、今度私は彼らのために何ができるだろうか、と考えてしまった。結局、現役のときに精一杯尽くすしかなかったのだと気付いた。引退する人間にはもう手遅れの文字しかないのだ。後悔先に立たず、である。
 明日からまた日経平均の終値当てが始まるので、まずは軽く予想して入力した。

9月30日(月)「上期最後の日・・・の風さん」
 とうとう月末しかも上期最後の日となった。ここまで突っ走ってきたが、明日から少しはマイペースになるだろうか。
 研修所の出社し、社長報告会の3回目に出席し、続いて、上期まとめ報告会で自分が発表した。持ち時間は15分だったので、10分で終えなければいけないのに、結局、質疑応答で20分もかかってしまった。先行きが大いに不安となった。
 本社で昼食後、元会長で現相談役を3人で訪ね、講話をお願いしたが、受諾してもらえなかった。
 我々の元直属の上司だった方なので、約1時間あれこれと議論した。会社にとっての問題認識が多くあり、講話で語るとなるとそれなりのレベルの受講生でなければならない。我々は、聴講者を再検討することになった。
 再び研修所に戻り、9月の月報と10月の月度計画を作成した。
 けっこう時間がかかり、それが終わって退社した。
 キャメロンで突っ走ったような上期が終わった。

2013年10月はここ

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